giovedì 7 luglio 2011

ブリジット・バルドー

ブリジット・バルドー  
ブリジット・バルドーBrigitte Bardot1934年9月28日 - )は、フランスパリ出身の女優ファッションモデル動物保護活動家である。頭文字が B.B.であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébé[注釈 2]とかけて「BB」が愛称になった。



パリ16区の航空会社経営者、および母方は保険会社の重役職にあった、きわめて富裕な両親のもとに出生、幼い頃からダンスやバレエ、舞踏を習う。
雑誌のカバーガールをしていたときに、かねてより実家に出入りがあったロジェ・ヴァディムの進言で、女優を志すことになるが、決定的な動機は「映画を通し、己の美しさを世界に知らしめることが出来得るため」であった。ヴァディムとは18歳のときに結婚したが、後年離婚した。
1956年、ヴァディムの監督作品『素直な悪女』で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。 
歌手としての活動もあり、1967年にはセルジュ・ゲンスブールの提供による「Harley Davidson」(「ハーレイ・ダビッドソン」)、「Je t'aime... moi non plus」(「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」)、「Bonny and Clyde」(「ボニーとクライド」)などを歌った。1968年初頭には、ゲンスブールとの連名のアルバム『ボニーとクライド』も発表している。当時ギュンター・ザックスと結婚していたバルドーは、ゲンスブールと不倫の関係にあったが、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はそれを露骨に示す。この歌はバルドーとゲンスブールのデュエットに加え、バルドーによるあえぎ声の演技を含んでいる。そのことからバルドーはこの歌のリリースを拒否、ほどなくゲンスブールとの関係も円滑でなくなり男女関係解消。


1973年の『ドンファン』を最後に新たな演技・歌手などの芸能活動をしておらず、芸能人としては事実上の引退。その後は動物愛護運動家(特に毛皮反対運動・の愛護・保護)に徹し活動している。
2009年動物の倫理的扱いを求める人々の会、通称PETAの会員で、同会の広告塔であるバルドーは、「カナダのアザラシ猟に対する抗議活動」として、カナダ産メイプルシロップのボイコット運動を行っている。
2011年日産MOCOCMソングに、ブリジット・バルドー本人が歌う「a Pourrait Changer」が使われた
姓も名も同じアルファベットのイニシャルを持つ(Brigitte Bardot=BB、Marilyn Monroe=MM)という共通点を持ち、同時期に世界的なセックス・シンボルとして人気だったため、昔からマリリン・モンローと一緒に話題になるが、NHKBS-2で放映された番組[2]でのインタビューで、バルドーは『みんなモンローかバルドーかってよってたかって勝手に並べてるけどさ、あたいはマリリンのファンなのよ。でも影響を受けたとかマネしたとかは一度もない。だってあたいなんて彼女の足元にも及ばないからね。』と語っている。自伝「イニシャルはBB」でも、エリザベス女王への謁見の時にバッキンガム宮殿の化粧室でモンローと1度だけ会った思い出[注釈 3]やモンロー死去の報を聞いた時の大きなショックのことなどが詳細に綴られている。
サントロペの別荘で聖書を紙が上等という理由とのことでトイレットペーパーの代わりに使っていた
  • 1984年に『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のリリースを認めたときも、「売り上げは動物愛護団体に寄付する」という条件をつけた。
  • とくに毛皮(使用・製造・販売者や肯定派の者)に対しては何人たりと容赦がないことで有名。

    • 1999年にはフランスの雑誌に、中国の江沢民に宛てた手紙を書いた。内容は、中国で媚薬のために熊や虎、サイが殺されており、それに抗議するというものであった[4]
  • 過激な抗議活動で知られる反捕鯨団体「シーシェパード」を支援している。[5]
  • 2010年6月に仏ランセルとのコラボレーションにより自身の名前をつけたバッグを発売したが、動物愛護の観点から動物由来の素材を一切使っていない

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